児童心理治療施設 桜学館

児童心理療育で健やかな学校生活を。児童心理治療施設 桜学館[岐阜県関市]

社会福祉法人桜友会桜学館 > 東日本大震災被災地ボランティア参加レポート
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10月5日から7日まで、岐阜県児童福祉協議会で行っている、被災地ボランティアに桜学館代表として参加してきました。そこで、私が感じたことや見てきたことなど報告させていただきます。
今回の参加メンバーは、岐阜県下の児童福祉施設から田丸さん、臼田さん、井上先生、間宮さん、井藤さん、堀田さん、私を含め7名でした。今回のボランティアの目的は、田丸さんと臼田さんが毎回被災地へボランティアに行くたびにお世話になっている施設(障害者日中活動支援施設)『ぎんの星』で行われる年に1回のイベント“きのこまつり”に参加するためでした。この祭りを盛り上げるため、岐阜名物の“五平餅”と“たません”の模擬店を出すとのこと。初めての被災地ボランティア、初めての模擬店販売、初めての東北・・と、たくさんの不安を抱えながら初日朝5時に岐阜県を出発しました。

10月5日

朝5時に岐阜県を出発。目指す宮城県東松山市までは片道約10時間とのこと。所々で休憩を入れながら、田丸さんと臼田さんが交互に運転をしてくださいました。途中、福島県に入り宮城県に向かって北上している時に「この道路の向こう側に、あの福島第一原発があるんだよ。だからこの道路の向こうの道路は今でも封鎖されているんだ。」と聞き、正直初めて“怖い”と感じる自分がいました。ニュースで何度も見ていたし、聞いていたことだったけれど、いかに自分にとって“他人事”であったのか・・。情けないですが、ここに来て初めてリアルに感じることができました。
   

夕方4時、目的地の東松山市に到着。まずは田丸さん、臼田さんが前回のボランティアでお世話になったという野蒜小学校の校長先生を訪ねました。しかし、校長先生は急な出張が入ったとのことで不在。代わりに教頭先生がお話しをしてくださいました。
仮設の校舎に子ども達も慣れてきたと教頭先生は話されました。ただ、言葉には出さないが、子ども達が震災時に見たことや感じたこと、経験したことをどう思っているのかは、まだこれから様々な形で出てくるのだろう・・とのことでした。それでも、震災から1年半が過ぎ、当たり前のことを当たり前のようにしていこうとの思いから、PTA会費を今年から集めるようになったとのこと。運動会もお祭りも、震災前のように行っていくことが子ども達の力になっていくし、そんな子ども達を見て大人達も元気になっていくのだと話してくださったのが印象的でした。

    野蒜小学校を後にして、次にボランティアの仲介をしてくださったことが縁で交流が続いている高橋さんに会いに行きました。高橋さんは元民生委員でいらしたとのこと。田丸さんと臼田さんに会うと、とても喜んでみえました。地区会長さんも一緒に出迎えてくださり、「遠いのに、よく来てくださった。」と私たちにコーヒーをご馳走してくださいました。高橋さんも地区会長さんもこの震災で大切な家族や家をなくした経験をされていると伺いました。それでも前を向き、「これからこの地区をどうしていくか・・を考えていくことが行き残された自分たちの役目だとようやく思えるようになってきた」と話してくださいました。
   

最後に、今回も宿泊でお世話になる『ぎんの星』さんへ。明日の簡単な打ち合わせを行いゲストハウスに案内していただきました。初めての東北、初めての震災を目の当たりにした興奮や緊張のなかで一日目が終了しました。


10月6日

いよいよ『きのこまつり』当日。朝から会場の準備や、買い出しに動きます。
私に割り当てられたのは、五平餅。桜学館の子ども達が書いてくれたメッセージがたくさん載せられた、すてきな看板を一番目立つところにセッティング。準備は万端です。

模擬店の開始は12時の予定でしたが、10時をまわったあたりからお客さんが来場され始めました。「こんにちは。岐阜から来ました。岐阜名物の五平餅です、食べたことありますか?」と声をかけながら五平餅をアピール。物珍しさや価格の安さに足を止めてくださる方が多く、お昼前には行列ができる程・・!
   

お客さんの中には「去年も岐阜から来てみえたでしょ?美味しかったから、今年も買いに来たんだよ。」と話してくださる方が何人もみえました。私は今回が初めての参加でしたが、これまで田丸さんや臼田さんが続けてみえたことがこうして被災地の方の生活のなかでの楽しみに繋がっていることを感じ、続けていくことの大切さを実感しました。

   

結局、五平餅500食が完売!最後の2~3時間はずっと五平餅を焼き続けているような状態でした・・。もうひとつの岐阜名物(?)の“たません”は、知名度の低さからか思うように売れませんでしたが、今年“たません”の美味しさを知った人が、来年また来てくださり、『去年食べて美味しかったから・・!』と言ってくださることを期待しつつ、きのこまつりは無事終了しました。

   

片付けを終えた後、東名地区にある仮設住宅を訪問。ここでも田丸さんと臼田さんがこちらに来るたびに何かとお世話になっている方へのあいさつを兼ねて訪問させていただきました。ここで初めて仮設住宅のなかを見せていただきました。冬の寒さが厳しい東北、今年になってようやくお風呂に“追い炊き機能”がついたとのこと。とにかく収納のスペースがないことから物が片付かないことが困る・・など、生活されている方からだからこそ聞ける話しをたくさんしていただきました。
それでも「こうして暮らせるだけでも、ありがたいことだからね。」と言われます。そう思わないとやっていけないから・・なのかもしれませんが、そう口にされる方々の様子や雰囲気は投げやりではなく、ただ今生きていることに感謝し、こうした人との繋がりに感謝する姿があり、人が持つ本当の強さのようなものを感じました。


10月7日

いよいよ東北も最終日となりました。午後には東北を出発しないと岐阜に着くのが夜中になってしまうことから、最終日は午前中の早くから活動を開始しました。

   

この2日間お世話になった、ぎんの星さんにあいさつをして東松山市を出発。石巻市へ向かいました。前回、被災地ボランティアに参加し報告をした伊藤も同じ場所に行っていますが、石巻市、女川町とも伊藤の報告時と比べ随分と町も道路も整備されていることが分かりました。前回と比べもうひとつ変化したことが、観光客(?)の多さでした。バスに乗って現地のガイドさんに震災当時の話を聞くツアー客(?)の姿がたくさんありました。
なんだか、ちょっと違和感があって、私はなんとも言えない気持ちでした。そんな思いを南三陸町で鉄骨だけが残された防災センターを見るまで抱えていました。南三陸町はこれまで通ってきた、見てきたどこの町や道路とも違っていました。がれきが山のように残されており、道路は地盤沈下の影響で海水が所々にたまったまま。防災センターだけでなく、その周りの建物も鉄骨だけが残され、そのままの状態でした。

この防災センターは、報道でも取り上げられましたが、最後まで職員の方が『津波がきます!逃げてください!』と放送を続け、ご自身は津波にのまれ命を落とされたそうです。防災センターの建物には、たくさんの花や千羽鶴が手向けられていました。
   

津波の力がどのくらい強かったのか、それを物語るように鉄骨がみな同じ方向に曲がっていました。鉄骨だけを残し、あとの物は全て津波にもっていかれたのだろう・・と想像し、それがどれ程の力であったのかと考え、恐怖を感じました。この防災センターやその周りに残された建物を見て、今感じたことを忘れないことが大切なんだと痛感しました。

   

現地に来て、実際に見て、感じたことを忘れないでいることが、何かしら復興支援に繋がっていくのではないかと思いました。だから、たくさんの人たちがバスに乗って被災地を見に来ることも受け入れながら、復興に向かっていくんだと、どこか納得ができました。
こうして、たくさんのことを感じ、考えさせられた私の初めての被災地ボランティアは終わり、無事に岐阜に帰ってきました。改めて帰る場所のある幸せを実感しました。


今回、震災から1年半が経った被災地を訪れ、少しずつではあるが着実に復興しつつある様子を感じました。それは、訪れる先々で私たちを歓迎しもてなしてくださる現地の方々に触れ、“施しを受ける側”から自分たちで当たり前のことを当たり前にやっていこうとする姿を感じたからだと思います。人の持つ力強さを改めて感じ、また、人は人の役に立つことで自分の力を信じ、前に進むことができるんだということを学びました。

今回被災地の方々から教えていただいたことを、どう桜学館のなかで生かしていくか・・。何を子ども達に伝えていくか・・。それを考えたとき、自分に自信が持てないでいる子ども達に、私が今回感じたことを伝えていくことが大切なんだと思いました。そして、忘れないこと。今回、このような機会を作ってくださった田丸さんと臼田さんに感謝し、そして3日間の休みを取ることを快く了解してくれた桜学館のみなさんに感謝したいと思います。ありがとうございました。

児童指導員 池戸裕子