児童心理治療施設 桜学館

児童心理療育で健やかな学校生活を。児童心理治療施設 桜学館[岐阜県関市]

社会福祉法人桜友会桜学館 > 東日本大震災被災地ボランティア参加レポート
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東北大震災から半年・・・
サンフラワー華陽 西脇施設長、前田さん、石橋さん(実習生)、桜学館 伊藤の4人で現地に向かいました。20日現在で犠牲者は死亡15790人 不明4056人。

9月16日

13:30 長良川SAで合流し、出発。約750キロの道のりを皆で交代で運転。SAを満喫しながら。
22:30   古川(宮城県大崎市)ICを出てホテル着。(現地から約40キロ離れた場所)

9月17日

4:30 明け方から出発までの3時間の間に小さな揺れではあるが、3回地震あり。ギシギシと建物がきしむ音に不安を感じる。眠れない。すぐに動けるように準備をしておくべきか悩みながら、なぜか靴下のみ無意味にも履いていた。
7:45   ホテル出発。石巻市げろっぱ祭り(中央公民館)に向かう。市内に入っても津波が届かなかった地域は長閑な田舎町。所々、電柱が傾いていたり、壁に亀裂が入っている。海に近づくに連れ家屋崩壊が目立つ。町中に船も所々転がっている。
9:00  

石巻市ジュニアリーダーサークル「げろっぱ」の子どもたちが中心となってイベントの準備が行われてる。祭りを盛り上げようと皆一生懸命。自分たちも怖い思いをし、中には家族を失った人もいるだろうが前を向いて生きていこうとしている姿、パワーが印象的。
祭りに集まってきたのは、避難所や地域で生活を送っている子どもたちや家族。バルーンアート、紙飛行機、シャボン玉、ボーイスカウトによるロープワークを使ったゲームなど、いろんな楽しいブースがあった。私たちは、風船ヨーヨー、綿菓子、ポップコーンコーナーを担当。(すべてサンフラワー華陽から持参)。オレンジリボンTシャツを着用し、さりげなくPRしながら、一時の間だけでも、震災のことを忘れて無我夢中に遊んでもらいたいという一心で、子どもたちと関わった。喜ぶ子どもたちの姿に、逆に癒された。避難所に住むお年寄りも、懐かしいと喜ばれていた。
大声コンテストに私も参加。結果、優勝。マイクを持つ機会があり、桜学館の子どもたちにもそこそこウケのよい、「まじんブウ」と「ドナルドダック」のマネを披露してみた。
大ウケ。県を越えて、ドラゴンボールネタで子どものハートをつかんだ。

    祭り終盤、手が空いたところで、近くにあった『拾得物保管所』に一人で入った。
言葉を失った。一室埋め尽くす、位牌や遺影。他の部屋にもあふれるほどの、ランドセルや賞状。ノートや作文、アルバム、幸せそうに写っている家族の写真・・・
どれもお金では買えない個々にとって、価値のある大切な思い出。この生生しいたくさんの物に直面したとき、今回の地震の悲惨さを実感し、涙が止まらず、耐え切れずに外に出た。ひどく汚れていただろう物をきれいにし、整理されていた。想像を絶するほど気の遠くなる作業。これを見たとき、人としての温かさやつながりを感じた。
13:00   イベント終了。近くの高台で、地元のNPO法人の方にいただいた「石巻やきそば」を食べた。麺に特徴があり、とてもおいしい。高台から見えた風景は・・・


かなり瓦礫の整理はされていたものの、山積みになった瓦礫は行き場も無く、何箇所かに固められていた。ふもとにあったお墓もぐちゃぐちゃで無残な状態だった。映画でも見ているかのような非現実的な不思議な感覚。

13:30   石巻から女川周辺の被災地を視察。津波に襲われたが火災もひどかった地区ではまだ、焼け焦げたにおいや腐敗臭が漂っており、悲しい町の姿は変わらず。7月8月の暑い時期を想像するとぞっとする。ハエの大量発生もひどかったという。
   
  石垣の上の家。2階部分まで被害に。吹き抜け状態。

車と見比べてもはるかに大きな、缶詰??が転がっている。この道の両サイドは無残な光景。ボランティア数人が瓦礫の撤去をしていた。中にはまだ新築されて間もないだろうと思われる家もいくつかあった。
女川方面に車を走らせる。道路のすぐ近くに海面があるのが印象的。地盤沈下、液状化でちょっとでも天候が不安定になれば、浸水するだろうという状態。港は水に浸かっていた。
14:00  
 
女川町立病院。原発がある地域。5階建てのマンションよりも高い、高台に病院はあるが17メートルの津波に襲われ、病院の一階は損傷。
高台から町の風景を眺めている人が多い。高台にはたくさんの花が供えられており、手を合わせることしかできない。
病院のある高台から見た風景。何も無い。あるのは、建物の土台とひっくり返った鉄筋コンクリートのビル。
瓦礫はかなり片付けられている。

    高台から下まで降りてみた。おもちゃやCDなどが散乱していた。所々供えられた花。たくさんの人が犠牲になったという実感を町の風景や供えられたたくさんの花が教えてくれる。
14:30   もう一箇所、悲しい場所に行くとのことで車を走らせる。道中、津波によって建物の2階部分に乗り上げられたままのバスを見つけた。

15:00   ※石巻市立大川小学校。全校児童108人のうち7割が死亡・行方不明になった。このとき校内にいた教諭11人のうち9人が死亡。1人行方不明。
    学校に到着。何人かの人が手を合わせにきている。学校から200メートル先の大きな橋は通行止め。津波で損傷したとのこと。地震直後、この橋が周囲の堤防より少し高い位置にあることから、そこを目指して避難していたという。しかし、予想をはるかに超えた津波は子どもたちや教諭を次々に飲み込んでいった。後列の集団が引き返し、学校の裏山に逃げたことで一部の子どもたちと教諭は助かった様。
    校舎の渡り廊下。ねじれて落下している。津波の威力を物語る。
2階建ての校舎の2階部分まで津波に飲み込まれた。学校の周辺には何も残っていない。
    子どもが未だ見つからない親の悲痛な思い、どこにいるのかわからない子どもに宛てた手紙もこの中に置かれていた。どんな姿でもいいから見つけてあげたい。行方がわからないことが死以上に残酷なものだということを、改めて痛感した。かわいいわが子の成長を見守ることができなくなってしまった親、大好きなお父さんお母さんに甘えることができなくなってしまった子どもたち、想像するだけで胸が詰まる。
ただただしばらくの間、手を合わせることしかできなかった。
    仮設住宅、約2年で退去しなければいけない。見通しが持てず、常に不安を抱えながら生活を送っている。「僕たちには帰る場所がないんです」。仮設住宅や避難所など生活できる場所があったとしても、決して心休まる、ほっとできる空間ではない。
    想像を超えるほどの恐怖を体験して、まだ上手く言葉で表現できない子どもの抱える傷は深くて大きいはずだが、厳しい現状の中で大人たちの余裕のなさから、子どもにはあまり手がかけられないのが現状としてあるとのこと。
    遺体の上を歩いてこなければ、助からなかった。もしあのとき、手を差し出していたら助かったかもしれない。生きることができたとしても常に何かに悔やんでいる。
    家族や友人の死との直面、喪失感、やり場のない怒り・悲しみ、長期にわたるストレスなどなど
心のケアも大きな課題。
16:30   帰り道、復興支援のため、酒場で地酒を購入。お酒大好きな職員のみんなには何がよいだろうと楽しく悩みながら、沈んでいた気持ちを切りかえて、酒選びを楽しむ。でも、お酒のことはよくわからない。とりあえずおすすめを聞いてみた。
18:30   古川に戻り、宿泊ホテルの近くの居酒屋で復興に貢献。おいしい魚においしいお酒。会話もはずみ、幸せなひととき。あっという間に夜が更けた・・・
     

9月18日

8:30 宮城を出発。お酒が残り少しふわふわしながらの運転。SAを満喫しながら岐阜に向かう。
19:00   関に到着。電柱が真っ直ぐ立っている。平凡な町の姿にほっとする。

今回見たものは、被害にあった東北のごく一部。悲しい、厳しい現状のごく一部。
新聞やテレビだけではわからないことや、感じることのできないことがたくさんあった。
今、目の前にある小さな幸せがどれだけありがたいことなのか。日々当たり前に過ぎていく穏やかな時間、帰る場所があるということのありがたみを強く感じながら、被災した人たちのために、子どもたちのためにこれから何ができるのか?もし自分たちが被災したら・・・子どもたちのために、地域のために何ができるのか?今回、被災地の現状を見たから終わりではなく、これからも復興を見守り続けていきたい。などなど、こんな感じに足りない私の頭を珍しくフル回転させながらの被災地ボランティアだった。

児童指導員 伊藤由貴